東部下水道町村組合のマンホール蓋

 

 

マンホールデータ

製造・設置時期 1931年〜1938年(本家では)

存在確認場所 高田馬場2丁目

 

 

東部下水道町村組合は日暮里、三河島、南千住の三町が設立した団体で、1931年から1938年まで同地区で下水道の整備を行った。

後に下水道事業は東京市が引き継ぐこととなり、現在この団体は存在していない。

 

この蓋に出会ったのは1994年ごろ。

新宿区高田馬場の路上で、珍しいタイプの蓋が設置されていたのです。

サイズが小さく、蓋中央のシンプルな「下水」というで紋章から汎用品だろうと思っていましたが、あるとき林丈二さんの「マンホールの蓋<東京扁>」の存在を知り、購入してみました。するするとそこには「東部下水道町村組合の蓋」と書かれておりました。

サイズが小さいのは「人孔蓋」ではなく、「燈孔蓋」だからだった。

燈孔とは人が入ることを前提にしておらず、燈孔からランプなどを入れて、付近の人孔からその明かりを頼りに管の状況をチェックするための穴らしい。

 

で、読み進めて驚いたことが。冒頭にも書いたとおり、東部下水道町村組合は明らかに高田馬場は・・・

 

管轄外

                              なのだ。

 

そういうわけで存在する理由が全く不明。君はなんでこんなところに。

2004年ごろには下水道工事で私がこの組合の蓋に初めて出会った場所は綺麗に再整備され、蓋は撤去されてしまいました。

本を買ったのがその後だったので、もう二度と撮影できないかもしれない、と思っていた。

 

↑在りし日の町村組合蓋@高田馬場 その1

縁石が綺麗に並べられている。

 

 

 

そんな2007年4月末。

夜中、ラーメンを食べに行くついでに、適当に裏道を散歩してみることにした。

 

実はこの町村組合の蓋があった通りは川を暗渠にして下水化した道なのだ。川の名前は「馬尿川」というらしい。

なんだか汚い名前。馬の小便とはなんというネーミングセンスだ!! でも小川の様子を良く表している名前のような気がする。(え?しない?)

 

で、その馬尿川の路地を合流先の神田川に向かって少し歩いてみた。

大久保あたりを発端としていた馬尿川からすれば最下流にあたるところです。

 

薄暗く曲がりくねった路地を下っていくと、マンホールからは水の流れる音が聞こえている。

するとなんと、足元に東部下水道町村組合の蓋が1枚だけ、ぽつんと残っていた!!

上流部では全て撤去されてしまったものが、そこには残っていたわけです。

 

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!

 

そのときに撮影したのが以下の画像。

 

残念ながら縁石はありませんが、状態の比較的良いものが、まだ残存していたのです。

とはいえ、高田馬場に存在する理由はまだ不明。

後ほど下水道台帳で調べてみましたが、この燈孔は存在しないことになっていました。

ワケワカラン。

ただよく図を見るとこの蓋のあるあたりで管渠が屈曲しているので、おそらくこの辺かなーと想像できます。

 

 

今回は気合の入った画像を用意してみました。

蓋の中央部の紋章を拡大して着色してみたのです。(本来の蓋には色はついていません)

私はこの紋章については指摘されるまで気づきませんでしたwマンホールマニアとして許されないことです。反省。

 

で、この色分けを良く見ていただくと、どうやら旧管轄地域の名前のはじめの1文字をデザイン化しているようなのです。

河島 暮里 千住

 

 

よく考えられた紋章ですね。感激です。

 

 

因みにこの東部下水道町村組合の燈孔蓋以外に、大きい人孔蓋が本家には存在しているかもしれないのです。

少なくとも20年前には存在していたようですが、現在どうなっているかは確認していません。いずれ探しに行ってみようと思います。

 

 

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